研究発表
公開件数:10件
No. 会議種別 タイトル 会議名 開催年月日 URL 概要
1 シンポジウム・ワークショップ パネル(公募)
雲南を目指した閩粤贛人
客家を名乗らない客家語圏出身者
国際学術シンポジウム 
客家エスニシティとグローバル現象
国立民族博物館
2018/12/16

江西省南部は客家語圏であるが、戦中の日本軍は、軍需物資として欠かせないレアメタルの一つ、タングステンの鉱床として把握していた。外務省は客家を有力な華僑集団と把握していていても江西省の客家語圏には関心が向いていなかったのである。
江西省南部人は、やはり鉱山の多い雲南にも移住しているが、彼らはまだ20世紀初頭の時点では客家としての親睦団体がなかったことから、外部から客家語圏であるとされていても、彼ら自身にはその自覚が無かったと考えられる。
2 口頭発表(一般)
雲南に入った錫採掘者-客家を標榜しない客家
中日文学与文化交往対話国際学術研討会
2016/09/10

雲南には錫鉱山で有名な江西人の同郷組織(会館)が多いが、それが雲南の中でも錫鉱山が密集している蒙自に集中している。しかし江西でも実際は隣接した広東東部(客家語圏)出身者が採掘しているため、雲南の江西人同郷組織を文字通り江西人と解釈するには疑問の余地があることを提起。
3 シンポジウム・ワークショップ パネル(指名)
長崎菓子と中国文化-沖縄との比較
香港理工大学
文化フォーラム
台湾に咲く桜香港で染まる紅葉
2015/10/07

長崎県外で知られていない菓子には中国文化の中でも黄檗宗の影響、長期保存の利く航海食であることを証明、沖縄との交流のあり方の相違に焦点を当てた
4
第二次世界大戦前夜のサラワク華人
University of Malaysia Sarawak visiting scholars workshop
2014/03/10

マレーシア半島部に比べて華人虐殺がほぼ皆無だったためか抗日活動は穏健であった。
また日本語学校で日本語の歌が教えられたが、戦時下でもこうした文化交流が行われていたのは陸の国境を接するインドネシアで日本唱歌が受容されていたことの関係も示唆され、半島部とは違った様相を見せていた。
5 口頭発表(招待・特別)
近代客家社会の形成-「他称」と「自称」のはざまで
2012亜洲客家研究学学術研討会:新生代的視野
2012/06/29

客家」の存在が1830年代中国官憲に40年ほど先駆けて在中国西洋人の間で認識され、19世紀末には中国官憲がこれを文書に記しているが客家がはっきり自称となったのは1930年であることを論証した拙著の紹介
6 口頭発表(一般)
台湾客家の「美徳」とその視覚化
 
関西中国女性史研究会 12月例会
2011/12/03

花柄布や客家女性のキャラクターなど、台湾客家文化が新たに創られ、ポップカルチャーになってゆく過程を検討した。
7 口頭発表(一般)
内陸へ向かった閩粤人
広島中国近代史研究会 2010年12月例会
2010/12/11

従来専ら海外に活路を求めていたように見られる広東・福建人の清末民国期における華南鉱山開発への関わりを論じ、彼らの内陸への活動の広がりと論じた。
8 口頭発表(一般)
江西及び広東のタングステン鉱山開発と客家居住区
第二回
台湾客家研究国際研討会
2008/12/21

清末から民国時代にかけて江西及び広東北部・東北部でタングステン開発が始まるが、この鉱山地区が客家語圏とかなりの重複を見せていることから、客家がタングステン開発にどのような役割を担っていたかを考察した。
9 口頭発表(一般)
第二次世界大戦以前の日本における客家研究-華南における外務省調査と台湾研究を比較して
「客家民間信仰と地域社会」国際学術研討会
2007/11/25


10
「江西南部のタングステン鉱山と「広東人」」
第29回広東研究会
2007/11/10

華南の鉱山開発というととかく雲南のそれも錫が専ら注目されてきたが、清末から民国時代にかけて江西及び広東北部・東北部でタングステン開発が、政治・経済の面からも華南社会に変化を及ぼしており、その歴史的意義は今まで以上に注目すべきであるとの問題を提起した。